文鮮明師 自叙伝
文鮮明(ムンソンミョン)師の
生涯初となる自叙伝
『平和を愛する世界人として』
平和を愛する世界人として
神様とイエス様から託された、人類の救いのために全生涯を捧げた文鮮明師。
無実の罪で6度にわたる獄苦を乗り越え、世界平和のために歩まれた愛の生涯です。
共産主義の脅威から自由世界を守る、飢えに苦しむアフリカや南米の人々に食糧供給の手立てをする、国境や人種、言語、文化の違いを超えて、人類を真の愛で一つするために、文字どおり世界中を駆け巡られました。その愛の思想と生涯を証します。
『平和を愛する世界人として』
神様とイエス様から託された、人類の救いのために全生涯を捧げた文鮮明師。
無実の罪で6度にわたる獄苦を乗り越え、世界平和のために歩まれた愛の生涯です。
共産主義の脅威から自由世界を守る、飢えに苦しむアフリカや南米の人々に食糧供給の手立てをする、国境や人種、言語、文化の違いを超えて、人類を真の愛で一つするために、文字どおり世界中を駆け巡られました。その愛の思想と生涯を証します。
<文鮮明師 略歴>
文鮮明師は、1920年1月6日(陰暦)、韓半島の平安北道定州郡に文慶裕氏と金慶継夫人の次男として生まれ、熱心なクリスチャンとして育ちました。
1935年4月17日の朝、イエス・キリストの霊が現れ、神のみ旨を完成しなければならない使命があるという啓示を受けました。
1954年5月1日、ソウルに「世界基督教統一神霊協会」を創立。1960年4月11日(陰暦3月16日)には、韓鶴子女史と聖婚式を挙行されました。
1968年には世界を共産主義の脅威から守るために「国際勝共連合」を創設。その後も「世界平和教授アカデミー」(73年)、「世界平和宗教連合」(91年)、「世界平和連合」(91年)、「世界平和家庭連合」(96年)などの国際平和機関を次々に創設し、各分野において世界的な貢献をされました。言論界においても、1978年から毎年「世界言論人会議」を主催されるとともに、米国で「ワシントン・タイムズ」(82年)や韓国で「世界日報」(89年)を発刊しています。
1990年4月にモスクワで開催された「第11回世界言論人会議」では、クレムリンでゴルバチョフ大統領と会談し、91年12月6日には電撃的に北朝鮮を訪問され金日成主席と歴史的な会談をされました。
1992年8月に挙行された「世界文化体育大典」では、国際会議に参加するため世界から集まってきた学者や文化人を前に「メシヤ宣布」を行い、自らが再臨主であることを公に宣言されました。
2012年9月3日午前1時54分、肺炎などの合併症のため、韓国京畿道加平郡の病院にて聖和(逝去)されました。数え年で93歳(満92歳)でした。